感動した詩「丁度よい」「我執のつぶやき」「おかげさま」 |
更新日:
2010年10月28日
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石川県の大谷派常讃寺坊守藤場美津路さんが、30年ほど前に『丁度よい』という詩を作った。良寛作と間違って伝えられた時期もあった。彼女は寺報『法友』を30年以上毎月400部出して全国に配布している。私も彼女を目標にしたいと思う。(以下の詩は中外日報10/28)を参照にした。
『丁度よい』 藤場美津路作
お前はお前で丁度よい 顔も体も名前も姓も お前にそれは丁度よい 貧も富も親も子も 息子の嫁もその孫も それはお前に丁度よい 幸も不幸も喜びも 悲しみさえも 丁度よい 歩いたお前の人生は 悪くもなければ良くもない お前にとって丁度よい 地獄へ行こうと極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい うぬぼれる要もなく卑下する要もない 上もなければ下もない 死ぬ月日さえも 丁度よい 仏様と二人連れの人生 丁度よくないはずがない 丁度よいと聞こえた時 憶念の信が生まれます 南無阿弥陀仏
藤場さんはこの詩を作る前に、『我執のつぶやき』という詩を出している。これも紹介しよう。 『我執のつぶやき』 親ほどうっとうしい者はいない 兄弟ほどめんどうな者はいない 子供ほどやっかいな者はいない 夫ほど平凡で薄情な者はいない 姑ほど邪魔なものはいない だから離れ 軽蔑し 嫌い 反発した 先生と宗教家ほど 偽善的なものはいない だから信じることがなかった 大嫌いな者は自分自身 愛そうとして愛しきれず 信じようとして信じきれず ただ一人 孤独の淵を のたうち回る こんな人間は生きている価値がないと思った それは真っ暗い地獄をはいずり回っている気持ち どうにでもなれ なるようになれ 斜に構えたやけくそ人生 死ぬに死なれず 生きるに生きられず
『おかげさま』 かみどころじゅうすけ作
夏が来たら 冬がええといい 冬になりゃ 夏がええと言う 借りた傘も 雨が上がれば邪魔 金を持ったら 古びた女房も邪魔 所帯持ったら 親さえも邪魔 誰も彼も どこもかしこも かさかさ 乾ききった 味気ない この頃 衣食住は昔に比べりゃ 天国やが 上を見ては不平不満 隣を眺めては愚痴ばっかり 何で自分を 見つめないのか 静かに考えてみるがええ 一体自分って 何やろう 親のおかげ 先生のおかげ 世間様のおかげ おかげの塊が 自分やないか いくら長う生きても 幸せのど真ん中にいても おかげさまが見えなけりゃ 一生不幸
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