『丁度よい』の詩で心が楽に生きられる! |
更新日:
2014年04月21日
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初参式のご法話でK先生が『丁度よい』の詩をご紹介下さった。私も2010年10月27日付けのブログで紹介したが、再度ここに掲載して人生訓としてじっくり味わいたい。これは北陸の大谷派常讃寺坊守藤場美津賂さんの作。
『丁度よい』 藤場美津路作
お前はお前で丁度よい 顔も体も名前も姓も お前にそれは丁度よい 貧も富も親も子も 息子の嫁もその孫も それはお前に丁度よい 幸も不幸も喜びも 悲しみさえも 丁度よい 歩いたお前の人生は 悪くもなければ良くもない お前にとって丁度よい 地獄へ行こうと極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい うぬぼれる要もなく 卑下する要もない 上もなければ下もない 死ぬ月日さえも 丁度よい 仏様と二人連れの人生 丁度よくないはずがない 丁度よいと聞こえた時 憶念の信が生まれます 南無阿弥陀仏
藤場さんはこの詩を作る前に、『我執のつぶやき』という詩を出している。これも紹介しよう。 『我執のつぶやき』
親ほどうっとうしい者はいない 兄弟ほどめんどうな者はいない 子供ほどやっかいな者はいない 夫ほど平凡で薄情な者はいない 姑ほど邪魔なものはいない だから離れ 軽蔑し 嫌い 反発した 先生と宗教家ほど 偽善的なものはいない だから信じることがなかった 大嫌いな者は自分自身 愛そうとして愛しきれず 信じようとして信じきれず ただ一人 孤独の淵を のたうち回る こんな人間は生きている価値がないと思った。それは真っ暗い地獄をはいずり回っている気持ちだった どうにでもなれ なるようになれ 斜に構えたやけくそ人生 死ぬに死なれず 生きるに生きられず
藤場さんは現在80歳代後半。石川県のダム建設で湖底に沈んだ村の出身。戦後まもなくから昭和53年まで教員生活を勤められた。寺に嫁いだが教員生活の30年間は、我執や葛藤ののつぶやきで、仏縁を結べなかった。自分を知識人と思い込み、自分勝手な生き方をした。しかしある先生のご法話を聞いてから、孤独な人生が蘇り、高いところにいた自分が下に降りたという気持ちになった。そして仏様の教えが素直に受け止められ、心が落ち着き、寺の中に自分の居場所を見つけたそうだ。
私もこんな素晴らしい坊守さんを目標にしたものだ。(充子) |
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