住職と坊守の2冊目の共著本『虫の眼・鳥の眼・仏の眼』出版! |
更新日:
2010年02月16日
|
|
今日京都の自照社から荷物が届いた。 開けてみると、昨年末より準備を進めていた住職と坊守の2冊目の共著本『虫の眼鳥の眼仏の眼』だった。 表紙の挿絵は、今回ご門徒の服部雅之氏に依頼した。 ピンクの地色に鳥が飛び立つ絵が、素人の域を脱している。
この本は、住職が自照社からの依頼で、約2年間に渡り「自照同人」という雑誌に載せた自照だよりが元になっている。 そこに1年7ヶ月前から始めた、善正寺のホームページの一角「住職と坊守のつれづれ日記」の、私担当分のブログ5編を、編集者のおススメで載せて戴いた。 私にとっては還暦を迎えた記念すべき年に、2冊目の共著本が出ることは光栄の至りだ。こうして活字になって、世間の皆様に見ていただくと、一言の重みを感じて、書いた者の責任を痛感する。おそらく未熟で、独断と偏見に満ちていることは、否定できない。
本の冒頭に、本願寺派勧学の中西智海先生より、身に余るお言葉を戴いた。 「今日の社会状況は、まさに『いのちの危機』といわれる混迷の時です。 このような時に私達の生き方を導くメッセージが求められています。 本願寺派の大谷光真門主がご消息で「み教えを深く受け止め、混迷の時代を導く灯火として、広く伝わるように努めたい」と語りかけておられます。 このたびの『虫の眼・鳥の眼・仏の眼』は見事に応えられた好著。 空を自由自在に飛ぶ鳥のような広い眼、小さい眼であっても闇の深層に光を見つける虫の眼、そして三世十方を貫く仏眼に目覚めて生きることを語りかけています。 この三つの眼は「見る」世界と「見えない」世界の奥行きに学ぶことがいかに大切なことであるかを示してくれています。 私はよく「風は見えますか」といいます。実は風は肉眼で見るものではありません。それは草木のゆれを見て「感ずる」ものです。 同じように仏は肉眼で見るものではありません。念仏の中で「感ずる」はたらきというべきです。 これからの伝道は「感ずる」世界、「うなづける」世界を届けことでありましょう。まことに時機を得た本書です」と中西智海先生から望外なお褒めの言葉を頂戴した。先生のご期待に添えるように、これからも住職と共になお一層精進しようと思う。 定価は1200円であるが、寺に直接お申し込み戴ければ、著者割引で1000円で販売する。すぐに読める簡単な本なので、皆さんも一度手にとって見て下さい。(充子)
立春を過ぎてから、かえって寒さが厳しいような気がする。 だが、春はもうすぐそこまで来ている。樹木の枝をよく観察すると、花のつぼみが固いけれど着実に膨らみ始めている。
このようなものの見方を私は散歩と共に、デジカメを愛用するようになってからできるようになった。特に、一眼レフカメラで遠景や小さな花,樹木を撮影するようになっての発見だと思う。世の中のものの見方にも、遠近両用が必要だろう。
名も知らぬ草花にもピントを合わせて微妙な光を浴びた姿を切り取って映すと素晴らしい輝きを発見できる。虫の眼のように。 また、望遠レンズ越しに覗き撮影する対岸の知多半島や伊勢湾の対岸の風景も毎日違った姿を見せてくれる。まるで鳥になったような眼で。
このように多様な幅の広いものの見方をすると怒りが消えたり、壁に阻まれた思考を転換できる。このほど、坊守との共著で出版させていただいた新著は散歩とカメラの趣味を持つようになって芽生えたものの見方である。 もとより人間の視野やものの見方は限りがある。だが、限りがあることを忘れて自分は何でも分かっているのだという傲慢に陥りやすいことを教えてくれるのは仏様の眼である。我々は基本的に自己中心の見方しか持ち得ないことを仏様は教えてくれる。
『虫の眼、鳥の眼、仏の眼』という我々の共著本がこのほど出来上がった。目次を簡単に紹介すると、 ・鳥の眼と虫の眼 ・老いの眼と仏の眼 ・悩み多き現場に念仏者の眼を ・涙の眼、光の眼〜光はぬくもりとなって〜 ・柔らかな眼を開こう〜昔はよかった、との嘆きを起点として〜 ・「疑問」こそ「学ぶ喜び」の起点となる〜「法然と親鸞」観劇からの新たな発見〜 ・「虫の眼」に注がれる「慈眼」を仰ぐ ・秋の日の眼〜長寿が喜べる社会こそ〜 ・悩みに開く眼、心に響く和讃の音声 ・時代の闇を共に悩む眼を開こう ・虫の眼、鳥の眼を貫く仏の眼〜希望なき世に灯を発見できる眼を開こう〜 ・鳥の眼、虫の眼、大悲の眼 ・つれづれ日記〜坊守篇〜(5編を分散して掲載)
なにより、中西先生から「空を飛ぶ鳥のような眼、闇の深層に光を見つける虫の眼、そして三世十方を貫く仏眼にめざめて生きることを語りかけている」(帯封)と尊い序文を頂くことで拙い書物に花を添えていただくことができたことが望外の幸せ。
そして、表紙と裏表紙に小杉町・服部雅之さんの美しい絵を提供いただいたことを何より喜びたい。(悌爾)
|
|