心に残る言葉『祝婚歌』吉野弘詩・夫婦に贈る感動詩
更新日: 2009年02月13日
私が日々出会う素敵な言葉をご紹介します。あなたも心の片隅に止めていただいて、いつか思い出して下さい

☆吉野弘詩『祝婚歌』(NHKTVスタジオパークからこんにちは2/12放映)俳優久米明氏が結婚式のスピーチで必ず紹介する詩。熟年夫婦にも新鮮な感動を呼ぶ。

      『祝婚歌』     吉野 弘

  二人が睦まじくいるためには  
         愚かでいるほうがいい 
         立派すぎないほうがいい
  立派すぎることは 長持ちしないことだと
気付いているほうがいい
       完璧をめざさないほうがいい
  完璧なんて不自然なことだと
       うそぶいているほうがいい
  二人のうちどちらかが
       ふざけているほうがいい
       ずっこけているほうがいい
  互いに非難することがあっても
    非難できる資格が自分にあったかどうか
    あとで疑わしくなるほうがいい
  正しいことを言うときは
    少しひかえめにするほうがいい
  正しいことを言うときは
    相手を傷つけやすいものだと
    気付いているほうがいい
  立派でありたいとか 
正しくありたいとかいう 無理な緊張には
    色目を使わず ゆったり ゆたかに 
光を浴びているほうがいい
  健康で 風に吹かれながら 
生きていることのなつかしさに
   ふと胸が熱くなる そんな日があってもいい
  そして なぜ胸が熱くなるのか 
    黙っていても  
二人にはわかるのであってほしい

☆NHK朝ドラ「だんだん」(1/24放映)より         

     『いのちの詩(うた)』
      
生きてゆくことの意味   問いかけるそのたびに 
胸をよぎる        愛しい人々の温かさ
この星の片隅で      めぐり会えた奇跡は  
どんな宝石よりも     大事な宝物

泣きたい日もある     絶望に嘆く日も 
そんな時そばにいて    寄り添うあなたの影
二人で歌えば       懐かしくよみがえる 
ふるさとの夕焼け     優しいあのぬくもり
      
本当に大事なものは    隠れて見えない 
ささやか過ぎる日々に
かけがえのない喜びがある
いつかは誰でも      この星にさよならを
する時が来るけれど    いのちは継がれてゆく 
     
生まれてきたことを    育ててもらえたことを
出会ったこと       笑ったこと
そのすべてにありがとう そのいのちにありがとう 


☆《神野直彦著『希望の島への改革』(スウェーデンの詩)「未来に芽を出すために」より》

批判ばかりされた 子供は 非難することを覚える
殴られて大きくなった子供は 力にたよることを 覚える
笑いものにされた 子供は ものを言わずにいることを 覚える
皮肉にさらされた 子供は 鈍い良心の 持ち主となる


しかし 激励を受けた 子供は  自信を覚える
寛容に出会った子供は 忍耐を 覚える
友情を知る 子供は 親切を 覚える
安心を経験した 子供は 信頼を 覚える
可愛がられ 抱きしめられた 子供は 
    世界中の愛情を 感じ取ることを 覚える

これがスウエーデンの中学校の教科書に掲載され、子供たちに人間の絆の大切さを教えている。日本にないものがここにある。
お正月は立ち止まって、じっと足元を見つめる時、「未来に芽を出すために、今なすべきことを教えられた。

<☆「ほんに今まで知らなんだ」(数え歌)松岡ナミさんの思い出 池田勇諦師NHKラジオ「宗教の時間」より


一つには 必定地獄と聞きながら うぬぼれ心に騙されて 落ちるわが身ということを ほんに今まで知らなんだ
二つには 不定のいのちを持ちながら よもやよもやで日を送る 今宵も知れぬいのちとは ほんに今まで知
らなんだ
三つには みなさん後生は大事やと 他人には言うて聞かすけど わが身の大事ということを ほんに今まで知らなんだ
四つには よくよくお慈悲を聞いてみりゃ 助ける弥陀が手を上げて任せてくれよの仰せとは ほんに今まで知らなんだ
五つには いつもお礼は忙しく 浮世話に気が長い かかる横着者ということを ほんに今まで知らなんだ
六つには 難し難しと嘆いたが おのれが勝手に難しく していたものということを ほんに今まで知らなんだ
七つには 泣いて笑うて地獄をつくる 浄土の中の地獄とは ほんに今まで知らなんだ
八つには 役にも立たぬ雑行雑修を捨てもせず 親様泣かせていたことを ほんに今まで知らなんだ
九つには 光明摂取の網の中 逃げても逃げれんお光とは ほんに今まで知らなんだ
十には 唱える称名そのままが 親の呼び声ということを ほんに今まで知らなんだ


☆「死ぬということは、残った人の心の中に生まれるということだ」
故緒方拳の著書『恋慕渇仰』より「死を想う壺」

☆「使えば減るのがお金、使えば使うほど増えるのが心」。
心のエネルギー量は一定ではない。気を使うのは嫌だという人がいるが、気は使うほど、心の流れの回路がよくなって、心豊かな生活が送れる。行動の基準をお金で換算する人は、いつもギスギス、イライラした生活を送る。心の泉は汲めば汲むほど湧き出す。その回路が詰まらないように、いつも誰かと心通う日々を送ろうそれが思いやりの心に繋がる。    (河合隼雄氏の言葉一部引用)

☆「無いものを欲しがるよりは、あるものを喜ばしてもらおよのう」
       (山口県 河村フデさんの言葉)

☆    『老齢』 エドマンド・ウオラー作
「今まで吹いていた風が止むと、海は静かになる。それと同じで、激情が収まると、人間も穏やかになる。結局無意味になるのが分かりきっているのに、くだらないことを自慢していた自分の空しさが、歳をとってやっと分かってくる。若い時にはうぬぼれに眼が曇り、つい見落としていた物事の儚さが、老人になってやっと分かってくるのだ。魂を覆っていた肉体という小屋がぼろぼろになると、「時」が穿った隙間から新しい光が射してくる。人間というものは弱くなってさらに強くなり、永遠の里に近づくに従っていよいよ賢くなってゆく。古いこの世にまさに別れを告げ、新しいあの世の入り口に立つに及んで、やっと両方の世界が同時に見えてくるのだ」(9/21夜門信徒会例会で紹介)

☆「ウソ言うちゃいけん、まっすぐに生きんしゃい」
(映画監督の新藤兼人氏が小学時代の恩師から言われた言葉。生涯通して生きる支えになった。また『先生』という映画を撮るきっかけにもなった言葉)

☆「仏法を他の非を責める刃にしてはならない」(故・善正寺前住職)
(私が姑と暮らしていた頃の思い出。姑のきつい言葉に涙した。「私より長い期間仏法を聞いているのに、あんなことしか言えないの?」と、つれ合いに言った。「得てに聞いて勝手に解釈しているから」と弁明。私も自分の非に気付く謙虚さがなかった。教えを聞くということは、聞く耳のない自分に気付くことだと思った。)

☆「散れば咲き、散れば咲きして、百日紅」 (加賀の千代女)
(ピンクと白のサルスベリの花の咲く季節である。百日間咲き続けるから、この漢字が当てられたらしい。咲けば散りではなく、逆の散れば咲きの語順に、サルスベリの不屈の精神力を感じる)

☆「仏に成る」とは成長し続ける自己変革のことだ (信楽峻麿元龍大学長の高田本山での講演より)
(仏に成るというのは死後の世界のことではなく、目覚め体験によって新しい自分に自己変革していく現在進行形の状態。脱皮を繰り返して新しい自分を発見しよう。自分を育てること以外、新しい人生の道は開けてこないから)

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